日々雑感

元牛飼いの会社員です。時折、考えたことを書いています。

【FB2014年9月23日投稿を転載】映画『それでも夜は明ける』感想

声をかけてもらい、観るのが恐ろしくて行けていなかった映画を観てきました。
“12Years a Slave”(邦題:それでも夜は明ける
奴隷制時代の米国で、北部の自由黒人として妻子と平和に暮らすバイオリニストの主人公が、騙されて南部に売り飛ばされ、12年間を奴隷として過ごす、という実話に基づいた内容。原作は本人執筆の体験記。

観たらやはり、恐ろしかった。

こういう映画を観たときの常だけれど「歴史上の大抵の時代・場所は暴力に満ちている。自分の生まれ落ちた時代・場所がそうではないのは偶然の僥倖に過ぎない。」と感じる。そして、残酷な性質の強い者、心優しさの残る者、等々個体差は当然あるものの、多くの場合、人は生まれ落ちた時代・場所からの影響を免れ得ない。

逆に言えば、今、自分自身や周囲が暴力性とほぼ無縁であることも、ある意味では、生まれ落ちた時代と場所による偶然に過ぎない。ふとしたきっかけで歯車が狂っていけば、ここも・人々もあっという間に暴力的な場所に変わるだろう。

そんなふうな恐怖を感じる。

と言えば、なんだか悲観的なようだけれど、しかし本当は、そういう恐怖から目を逸らさず、人(=自分たち)は元来そのような暴力性を内包する存在である、ということを受け止めておくことは、必要・大切なことだとも思う。例え望ましくないものであろうとも、その存在を認めてこそ初めて、それをコントロールできる可能性が生まれると思うので。

しかしそれにしても、こわかった・つらかった。。。あと数日は精神的ダメージが残りそう。。
意義深い映画なのは十分に認めますが(;_;)

【FB2013年10月12日投稿を転載】映画『Hafu』感想

以前、イベントでお世話になったことのある矢野デイビッドさんがご出演されている映画、『Hafu』を見てきました♪

『Hafu』

日本人とのハーフとして、日本或いは外国で育った(or育ちつつある)5人の日々を追ったドキュメンタリー。日本×ガーナのデイビッドさん、日×豪のソフィアさん、日×メキシコのアレックス君、日×ベネズエラエド、日×韓の房江さん。同じ“ハーフ”とは言っても、境遇も外見も様々。主に日本で育った人・外国で育った人。見た目が日本人的な人、外国人的な人。しかし、どの人も、自分が日本ともう一つの国の両方を背負う・背負わざるを得ない存在であることを意識し・意識させられ、生きてこられたようでした。(とりわけ日本に育った場合、学校や社会の閉鎖性に苦しめられた度合いが強いように感じました。)それは、単純に日本人として生を受けた私にはうまく想像することができない重荷であり・葛藤であり・苦しみのようで。そして、5人の方々の現在の立ち位置も様々。苦しみや葛藤を乗り越え、mixed rootsであることをベースに・ご自身の使命を見つけられた人、mixedではありつつも・日本ではないほうの国に完全に軸足を置く人、もしくはまだ葛藤の真っただ中にある人、など。

上映後のトークショーには、西倉めぐみ監督(日×米)と出演者デイビッドさんが登場。会場にたくさんいらっしゃったハーフ、mixed rootsの方々、はたまた、別の角度からのマイノリティである同性愛の方とのコミュニケーションも、時に感動的でとても興味深いものでした。(とくに、デイビッドさんの受け答えは、苦しんだ時があったからこそ、と思われる、優しさ・思慮・慮りの詰まった語り口でした。)

わたしは、どの角度からの感想をここに書こうかと迷うのですが、一つに絞って書くとすると、「生まれのことであれ、性的指向のことであれ、逃れようのない大きな荷を背負うことは、深みのある・美しい人間が生み出されるチャンス。」という再実感でしょうか。(ただ、残念なことに、苦しみを乗り越えられずに、人が傷み・歪んでしまうこともありますが><)
また、人にとってはそれぞれ、自らの抱える荷が一番の関心事とならざるを得ませんが、ほかの人もまた、違う種類の荷を抱えているのだ・抱えているのかもしれない、という慮りを常に忘れないことが大切、との思いも新たにしました。

と、いろいろと書きましたが、単純に、「Hafu」興味深いです。
ひとまず18日までしか上映してないようですが、お時間があればぜひ足をお運びください♪

http://hafufilm.com/

【FB2013年9月30日投稿を転載】TV番組「ガタロさんが描く町 ~清掃員画家のヒロシマ~」感想

「汚いところをきれいにする道具じゃろ。それが美しくないはずはない。」

「(木を切ってしまえという人もおったんじゃけど、)全部があってのわれわれなんじゃけえ」
「こうして毎日大量のゴミを扱いよると、世界が見えてくる。人間がどんだけ終末的なゴミの出し方しよるか。」
「黙っとっても自分が思うとることは相手に必ず映るいうことやね。」

録りためていたTV番組の一つを見た。こころの深い部分に触れる内容でした。広島のとある商店街で30年間清掃員を続けるガタロさん。清掃用具は主にお古や自分で作ったものを用い、週6日・朝4時からたった一人で掃除にかかる。「手袋しては仕事にならない」とトイレ掃除も素手で。月給は15万円。そんなガタロさんは、自らの使う清掃用具を絵に描き続ける。密着取材の間、ガタロさんが口にする言葉は、雄弁でも・滑らかでもないけれど、営々と実のある時間を積み重ねてきた人だからこその、深さと重みを感じられた。
清掃用具が美しいのと同様、ガタロさんもとても美しい人だと思った。そして、彼と奥様の絆も美しい。彼の個展が開かれることがあれば、必ず訪れたい。

【FB2013年4月12日投稿を転載】脱北者体験談を伺って。

今晩は参加したイベントで、ひさびさに、なぎ倒されるほどの勢いをもったお話をお聞きしました。メインスピーカーは、北朝鮮に生まれ育ち、18歳の時に脱北、以来9年間日本で暮らす女性、Kさん。どこから彼女の話を要約していいのか分からないほどに、ほとばしる様に、ご自身の経験を語ってくださいました。以下、記録のためにも、お話しいただいた内容のほんの一部だけ。

○Kさんのおばあ様は日本人・おじい様は在日朝鮮人だったが、北朝鮮に帰国。
○お母様は北朝鮮で生まれ育つ。Kさんも日本人として差別を受ける。
○お母様が当局に逮捕されたことから、留置されているお母様に食事を差し入れる必要もあり、中国側のご親戚の支援を得るために、15歳のときに初脱北。1週間ほど過ごした中国では、人々の自由な髪形や身なり、豊かな食生活に驚く。
○以来、18歳までに計3回脱北し、3回連れ戻される。
○2回目の脱北は単身、冬。凍った河を走って逃げていたら「止まれー!」の声。止まったら捕まるから止まるわけがない。撃つなら撃てとの思いで中国側まで走りきる。(しかし結局つかまる。)
○中国側のトラックに乗せられ、北朝鮮で下されたとたん、足蹴にされ人間扱いされない。収容施設では6畳のスペースに、30人収容。粗末な食事が一日一回。トイレ(大便)も一日一回、外に連れ出され、並ばされて・見られているところでする。(←金品を飲み込んでいる人がいるため。)
○しかし、つかの間中国を垣間見たことで「世界を見よう」と思い、脱北を重ねる。
○4回目はつかまらず、中国滞在を経て、ついに日本へ。
○日本に来てから5年間くらいは、眠ると、捕えられる夢ばかり見ていた。生きている感覚がせず、いつも誰かに見張られているような。
○日本来日直後は、まず、在日韓国人の団体のサポートを受けたが、ご自身は日本人の扱いを受けると思っていたので、「なぜ韓国?」とショックを受けられた。
○日本では、Kさんが来日しても(日本の)ご親族の方は誰も迎えに来てくれなかった。資本主義の国は、それぞれが、それぞれの人生?で忙しいと今はわかるが、当時は、「命をかけてきたのだから、迎えにくらい来てくれてもいいのに」と思われたと。
○一方で、何の血のつながりもない支援者の方が、Kさんのために衣食住を提供し、日本語を教え・夜間中学を探し、助けてくれた。(今、Kさんは大学にまで進まれている。)

実際にはこの何十倍もの量と密度のお話をしてくださって、それを再現できないのがとても残念ですが。。。後半の質疑応答でKさんが話された内容をあと2点。

○どの国も、すべてがいい・すべてが悪いということはない。北朝鮮も日本も同じ。Kさんは、北朝鮮にいた頃は、古い映画を通してしか日本を知らず、日本人はちょんまげ姿や、丸めがねに軍服?を着ているのかと思っていた。でも、実際に日本に来たらそうではなかった。今、日本人がメディアを通してみている北朝鮮も同じ。一面から見ても、その国のすべてはわからない。
○Kさんの将来の夢は、平和のために役立つ仕事をすること。

上記2点も、とくに新奇・特異な視点が語られているわけではないですが、Kさんの口から語られると、過酷な経験から身を以て学ばれた重みを感じ、また、ほとばしる様に今までの人生を語られるKさんの姿からは、「この話はKさんにとって今も続いている。日本に来たから終わり、というわけではない。」ということを感じさせられました。

とにかく、今日は心と頭にたくさんのことが詰め込まれました。(Kさん以外のスピーカーの方も、興味深いお話をお聴き出来ました。ここにすべて書けないのが残念><)

このような貴重な機会を作ってくださった主催者の方々に感謝。
またぜひ別のイベントにも参加してみたいと思います。

【FB2014年11月2日投稿を転載】『現地報告会 ~ガザに生きる人々』に参加

先日は、ジャーナリスト 藤原 亮司氏の『現地報告会 ~ガザに生きる人々』に参加。そこで得た学びについて一部、記しておきます。(長文です><)

藤原氏は、1998年からパレスチナ問題の取材を開始。今年も、イスラエルによる攻撃が行われた8月、数週間、ガザにて取材を敢行されたとのこと。会場では現地の生々しい映像を交えつつ、藤原氏の視点を拝聴。中でも特に印象に残った部分を、私の理解した限りでまとめ直すと。

パレスチナ人にとっての真の苦しみは恐らく、「家や街を壊される」といった直接的なものではない。

今回も、イスラエルの攻撃によって2000人を超えるパレスチナ人が死亡。それはもちろん悲劇。過去にも、家や街が丸ごと破壊されるなどしてきた。そして、家を失った人々の、避難所や屋外での生活も悲惨。しかし、破壊しつくされたはずの町を2~3年後に訪れると、見事な新興住宅地に蘇っていたりする。これは国連等の援助によるもの。援助があるため、飢えることもない。携帯電話やパソコンも持っていたりする。小学~高校までの教育は無料。大学進学率も高い。
一方で、国境がほぼ封鎖されているため、産業は壊滅状態。失業率は80%。大学進学率が高いのも、人々が他にすることがないから。
することのない大人の男たちは、昼間から集まって水煙草を吸い、トランプに興じる。援助によって生活している大人たちは、子供たちに「将来立派になるために、ちゃんと~しなさい」等と諭すこともできない。誰も、将来に夢を見ることが出来ない。
ある時藤原氏が10歳の少女にうっかり「将来は何になりたい?」と訊いてしまったらその子は、「朝、目が覚めて、『あ、生きてるな。』と思ったら、その日一日何をしようか考える。将来のことは考えられない。」と答えたと。

前述のように、「イスラエルが攻撃する→国連等がパレスチナに向けた援助をする」というサイクルが出来てしまっている。本来は攻撃をしたイスラエルが賠償をするべきであるのに。
そのため、ガザ地区等はある意味、イスラエルにとって打出の小槌のような存在でもある。

その証拠の一つとして、イスラエルは今回のガザ攻撃の際も、取材許可証を敢えて、諸外国のジャーナリストに発行している。つまり、ガザ地区の被害が世界で報道されてもいい、寧ろ報道してほしい、ということ。
報道されれば、必要とされる復興に関してはまた、世界からの援助で賄われるから。』

他にも、今回の攻撃に関し今までと大きく異なる点として、「敵の姿が見えない戦い」と。直接イスラエル軍が侵攻してくるのではなく、予め攻撃ポイントと定めた場所に、ピンポイント爆撃が行われる。
また、ガザ地区のあらゆる場所に無人偵察機(ドローン)が飛んでおり、常時微かに「ブーン」という音が聞こえている。無人偵察機が不審なもの・人を発見すると、その場所もピンポイント爆撃される。
よって、パレスチナ人はイスラエル兵を見かけないし、イスラエル兵もパレスチナ人を直には目にしない。(ただ、いくらピンポイント爆撃が成功しても、爆撃された建物の破片等は周囲に飛散するので、当然、標的とは無関係の被害者も多数出る。)

この「イスラエル人もパレスチナ人を見かけたことがないし、パレスチナ人もイスラエル人を見かけない。」という状況は、第二次インティファーダ以降、イスラエルパレスチナ自治区の間に分離壁が張り巡らされてから生まれた。これによりどうしてもお互い、「相手も血の通った人間だ」という感覚が薄れていっている。

等々。

いろいろお話しいただいたのでうまくまとめきれませんが><、改めて、パレスチナ問題の根深さを思い知らされる晩となりました。。。

セミナー感想:「分身ロボット」がつなぐ未来〜人工知能にはできない「孤独の解消」を目指す〜

ワクワクしてじわりと響く講演会に参加しました↓。自分の囚われている価値観についても洗い直してみたくなるような。
ご自身がデザインした「黒い白衣」をなびかせてふわりと壇上に現れ、自己紹介しながらあっという間に折り紙で薔薇(?)を折りあげた吉藤オリィさんの存在感は、すでにその時点から聴衆のワクワク感をいやが上にも煽っていたけれど、そのあと“分身ロボット”について語られる姿からは、身体も弱く不登校が長かった彼の苦しみの深さがそのまま情熱に転化したようなエネルギーの放射を感じました。
 
“分身ロボット(OriHime)”とは。
◇例えば、長期入院中の子どもがOriHimeを、学校の自分の席や家族のいる自宅に置く。子どもは家や学校の様子を知ることができ、かつ、子ども自身の遠隔操作によりOriHimeが動く・喋るので、家族や学友もその子の“存在”を感じることができる。(注:本人の映像をスマホ画面などで映し出すことももちろん可能だが、入院中の人は必ずしも自分のリアルタイムの姿を相手に見せたくないことが多いとのこと。)
◇例えば、会社の受付としてOriHimeを置く。これを操作するのは、遠隔地にいる寝たきりの障がい者。OriHimeを操作することで、例え本人の身体に重い障がいがあっても会社の受付として働き、賃金を得ることが出来る。
 
吉藤さん曰く、彼がやっているのは“存在感伝達事業”で、“遠隔地においてどうやって存在感を発揮させるかがテーマ”、と。
 
“存在感の伝達“という視点がEye-openingでワクワク。
 
ご自身も不登校や引きこもりの経験がある吉藤さんは当初、お年寄りや入院中の子どもの抱える孤独感を癒やすため、“ロボットセラピー””癒やしロボット”を研究していたとのこと。しかし、やればやるほど、「本当の意味で人を癒やすことが出来るの人間だけ」「人は人の役に立つことによって自らの存在意義を感じる」との思いを強め、AIではなく分身ロボット、そして“存在感の伝達”にたどり着いたと。
 
思考の流れにとても共感。
いくらAIが温かみのある完璧な受け答えをしたとしても、利用者が「相手は人間でなく機械だ」と認識している限り、孤独は“紛らわされる”だけで“解消”はされず、それどころか、「自分は誰の役にも立たない人間だから、機械に相手してもらうしか無いんだ」と孤独が深まるように思う。
今後、テクノロジーのさらなる進化により、大勢としては人と人の接し合う局面は減っていくと思うけれど、「(人ではなく)AIの役に立つことによって自らの存在意義を感じる」ように人間が変化するわけもなく、結局、どこまでいっても「人間が互いに関わり合うことによって互いの存在意義を感じあう(=幸せを与え合う)」必要性は残る。
 
そう考えると、テクノロジーによって“存在感を伝達”し、人と人が繋がることをサポートする“分身ロボット”の方向性はやはり素晴らしいと思う。
更に、 自分が以前に考えていた“身体と精神の二項対立”についての考え方↓を修正する必要も感じたり。
いろいろ書いたけど、ひとまずエキサイティング、Food for Thoughtな2時間を過ごせてシアワセでした。OriHimeも使ってみたいなぁ。
声をかけてもらって感謝!

【Vicom2012年 12月15日投稿を転載】アルフォンス・デーケン氏講演会に参加して。

昨晩はお声がけいただき、アルフォンス・デーケン氏の講演会に行ってきました。デーケン氏は、死について語ることが忌避されがちな日本で、40年ほど前に死生学を提唱されたとのこと。興味深くお話を拝聴し、講演後は友人と互いの死生観などをシェアしました。
そんな晩を過ごし、改めて、自分がほんわりと抱いている死生観を確認・整理しました。

◆日本では死について語ることが忌避されがちなのは、言霊信仰の影響によるところが大きい(と思う。)
◆しかしながら、人間の死亡率は未だに100パーセント。
◆デーケン氏のおっしゃる「死を考えることは生を考えること」に共感。
◆100人いれば100様の人生(=生)があり、また100様の死がある。死が来ることさえ知らぬうちに迎える死、現世への未練に満ち満ちて迎える死、死への恐怖に怯えつつ迎える死、従容として心穏やかに迎える死、など。
◆どちらにしろ迎える死であるならば、その時が来たら、出来るならばわたしは従容として迎えたい。そして、その時はいつくるか分からない。言い方を変えれば、死が訪れた時に、それを従容として迎えられるような人生および死生観に向かっていたい。
◆思うに、現代人の多くは、自らの存在を余りに限定的に捉えすぎているのではないか。(現代人の多くにとっては)人間の脳が知覚・認知できるものが全てで、自らの存在もまた、自らが知覚・認知する存在であるという事実にのみ拠って立つと、(多くの場合無自覚のうちに)考えている。
◆しかしながら一方で、人間が“大いなる自然・宇宙(とでも言うべきもの)”の一部であり・ほんの一部でしかないことは疑いようもない事実。例え知覚は出来ていなくとも、人間はそれ以外の手段でも、“自然・宇宙”とコミュニケーションをとっている(と思う)。そうでなければ例えば、満月の夜に出産が多い、なども説明がつきづらい。(妊婦さんが「満月だから今晩産むのが適切だ」と知覚・判断するわけではないだろう。)
◆そして、自らが悠久の時の流れ・果てしなく広がる宇宙に抱かれ・繋がった、ある意味では一体の存在であると日々感じているならば、死によって自らの肉体・精神が今ある形を失うことへの恐怖もかなり和らぐのではないかと思う。もちろん、完全に平静でいられるだろうとは思わないものの、「今、知覚・認知活動を行っている自分こそがすべてである」と自らの存在を限定的に捉えている場合と比べれば、大きな違いがあるように思う。
◆以上のようなことを、わたしは自分の思想?というか机上の空論としては、かなり確固とした気持ちで抱いている。そしてこれは恐らくとくに特殊な考え方でもなく、むしろ原始的・素朴な死生観であるとも思う。
◆一方で、現代日本の都市部でごく普通に生まれ育ち・生活を送る身としては、“自分は大いなる自然・宇宙の一部で”と素朴に実感できる機会はあまり多くない。
◆そんなわけで、自分の持つ素朴な死生観を頭だけではなく感覚として感じる試みと、現代日本でごく常識的かつ充実した都市生活を送ることのることの間にある隔たりを埋めていくことが、今後の自分の人生(=生)のなかに必要だと感じる。

昨晩はこんなテーマを話し・シェア出来たことを幸せに思います。
聴いてくれて・話してくれてどうもありがとう。
この投稿をわざわざ読んでくださった方も、どうもありがとうございます。

http://www.academyhills.com/school/collabo/visionary12121...