【Vicom2010年 09月14日投稿を転載】映画「インセプション」を観て。

しばらく前に映画「inception」を観た。
もう一回観に行ってから文章にしようと思っていたんだけれど、なかなか2回目を観に行けないから、とりあえず書いとこう。

この映画、評判通りにすごく面白かった。

私の印象としては、マトリックス(やアバター)に通ずるものがある。
どこが通ずるか文字にしてみると、

●「身体と精神は分離可能」という前提に立っていて、
●「現実と非現実の境界に関する不確かさがある」

というところかな。
後者に関しては、「映画を見ているうちにどのシーンが現実か分からなくなる」という直接的な話ではなくて、「非現実のリアルさが現実のリアルさに限りなく肉薄したとき、非現実と現実に区別をつける意味は?」みたいな疑問が映画の中に含まれている、という意味で。

それにしても、こういうマトリックス的視点の映画がすっかりお馴染みになってきた。もちろんそれよりもっと前にもSF映画などで同系統のものはあったと思うけれど、「身体と精神は分離可能」「現実と非現実の境界の不確かさ」という視点や感覚が、ここまで世間一般的にすんなりと受け容れられるようになったのは、インターネットが普及したからなんだろうなぁ。

ネットに親しんだ人たちにとって、「仮想世界の中で自由に羽ばたく精神」と「ディスプレイの前に取り残された身体」というのは、無意識のうちに峻別されて、結果として、「身体⇔精神」を二項対立的に捉える傾向が強まる(たぶん)。
逆に、全身に汗をかきながら畑仕事をしている人が「ああ、早く汗を流してビールを飲みたい」と思っているとき、「自分の精神と身体は分離可能だ」、とはあんまり思いつかないと思うし。

というわけで、インターネットの普及によって人々は身体と精神の境界を、無意識のうちに、より深い境目として捉えるようになってきている(はず)。

で、それがいいことなのか悪いことなのか?正しいことなのか間違ったことなのか?というと、わたしにはよく分からない。

けれど、(たぶん)仏教的なわたしからすると、やっぱり身体⇔精神についても二項対立はしっくりこないし、不自然な感じがする。そして、そういう相対する概念に関して私がもつお気に入りの捉え方は「グラデーション」だから、「身体⇔精神」についてもそう捉えたくなる。

というのが私の今考える・思うこと。でも、もうちょっとちゃんと考えを深めたいから、何か関連する本を読んでみよう。あとは、インセプションも公開が終わるまでにやっぱりもう一回観に行きたい。