【Vicom2010年 06月30日投稿を転載】 発信⇒受信⇒解析

しばらく前にテレビ番組で、ある少年について放映していた。

彼は全盲である一方非常に聴覚が鋭く、音によって周囲の物の位置関係を把握できるという。
具体的には、常に小さく舌打ちのような音を発し続け、自分が発した音がどのように跳ね返ってくるかを聴きとり、どこに何が在るのかを正確に捉える。この方法により、全く目が見えないのに目が見えているかのように日常生活を送り、家の外も不自由なく歩けるし・ローラーブレードだって出来る、とのことだった。
番組を見て抱いた感想は、驚き・感嘆。
誰に教わったわけでもないようなのに、自分なりの方法を見つけ、その能力をこんなにまで高められるなんて。

そして、この“舌打ちによって周囲との関係性を掴む”という点が私の中で深く印象に残り、イメージが別の方向へと繋がっていった。この少年が行っているのは、

“(自分の発する音によって)他者・他物との物理的な関係性を掴む”

という行為だけれど、

“(自分の発するメッセージによって)他者との社会的・心理的な関係性を掴む”

ということは誰しもが行っているなぁ、と。

人は常に、言語・非言語のメッセージを周囲に向かって発している。
発されるメッセージに合わせて、周囲の人も常に、細かく反応を返す。
メッセージの発信者は返ってくる反応によって、自分の周囲との関係性・立ち位置を掴む。

例えば、電車の中に、少し薄汚れた身なりをし・お酒を飲んだような赤い顔で独り言を呟く人が乗ってきたら、いつの間にかその人の半径3メートルには人がいなくなっていたりする。
逆にもし自分が電車に乗り、半径3メートルに人がいなくなったとしたら、「何か自分に問題があるのかな?服装?匂い?」などと考える必要がある。(幸い、そういう反応を受けたことはないけれど。)

この例は極端ではあるけれど、もっと細かで微かなフィードバックは、毎秒毎と言ってもいいほどの頻度で周囲の人から受けている。そして、より流動性の増した現代では、この「メッセージ発信・(受信)・解析」能力の重要性は以前よりもさらに高まっているように思う。

とくに、メッセージ解析機能の歪みが大きいと、全盲の少年が周囲の物にぶつかってしまうように、私たちも周囲の人とぶつかってしまう。もしくは、衝突のリスクを避けるために、あらかじめ周囲の人たちが逃げ出していく、とうことにもなってしまう。

ただ、物理的な距離・関係性を掴むのとは異なり、社会的・心理的な関係性の把握(=受信メッセージの解析)においては、とくに究極的な正解が存在するわけではない、というところが難しい。各人それぞれの解析機能は、各人それぞれに歪んでいて、だからこそ、同じ人のことを話していても、場合によっては抱いている印象が180度異なったりする。でも一方で、最大公約数的に、大半の人から合意の得られる解析基準(?)が存在することも確かと思う。だからこそ、“場の空気”が生まれ、その場の最大公約数を読み取った人はその空気に従う(あるいは、敢えて場の空気を変えるために合意を裏切る言動をとることもあるかもしれない)。

また、人によって世の中を温かい場所だと感じていたり、逆に、世間は冷たいと感じていたりするのも、この「発信メッセージ・受信メッセージ・解析機能」の結果、各人がたどり着く結論だから、同じ社会・世の中を眺めていても・人によって全く異なる捉え方をしているのだなぁと、当たり前のことではあるけれど、改めて思いを深くする。
自分があまり好感をもたれないメッセージを発していれば、返ってくるメッセージも冷たくなるし、それを通常通りに解析すると、「世の中は何て冷たいところだ」と映ってしまうかもしれない。もちろん、逆も然り。

と考えると、どうせなら出来るだけ温かいメッセージを発して・温かいメッセージを受け取り、この世の中は温かいところだと思って人生を過ごしたいなあと願う。


(と、夜中にこんなことを書いているけれど、サッカーはどうなっているのかな。。。ちょっとだけテレビを見て寝よ。)