【FB2015年6月20日投稿を転載】映画『Happy』上映会感想

先週日曜は、お寺で映画+座禅。

映画は、数年前に見たことのあるドキュメンタリー映画「Happy」。
世界各地でHappyに暮らしている人々を16例取材するとともに、その合間合間に、脳科学者等のHappinessに関する視点・見解が挟まる。前回見た時も深い印象を受けたけれど、数年経って記憶が薄れていたので、今回もまた。

インドでリキシャを引いて暮らしを立てる一家のお父さん。家は、あばら家。「風通しが良くて快適なんだ。そして、仕事を終えて家に帰ってくると、いつも息子が迎えてくれる。」と笑顔いっぱい。
美人で活動的な母親だった米国人女性。交通事故により、元とはかなり異なる顔立ちとなり、ご主人にも去られ。しかしその後、人を癒すセラピストとなり、また、新たなパートナーとも出会い「今が一番幸せ」と。
他、14例。

映画を見ているうちに、「自分にとっての幸せとはなんだろう?」と考えないわけにはいかない。
座禅をしながらも、無にはなれず、幸せについて考える。
現在の結論は、これ。

「今この瞬間、心身ともに(概ね)健康にこの世に存在し、かつ、私のことを大切に思ってくれている人たち・私が大切だと思える人たちとのつながりがあること。」

これを言うと笑われることもあるけれど、年々、自然の景色に敏感になってきた気がする。
山に行けば緑が目に沁みるように感じるし、空とか、水の流れとか、子どもの声とか、そういうものが胸に迫ってくるときがある。子どものときはそういうことって、なかった。
それは恐らく、昔は“自分がこの世に存在していること”が自分にとってあまりに自明、所与のことだったからだろう。
でも、年月を経るに従って、自分は、様々な偶然や僥倖や、諸々の末にこの世に一時的に存在しているに過ぎない、すごく不確かな存在だと感じ・分かり始めた。
いちおう今のところは、五体満足・健康な34歳のはずだけど、もしかしたら明日、何かの拍子に命を落とすことだってあるかもしれないし、もしかしたら自分の知らないうちに病にかかっていることだってあるかもしれない。
その、自分自身の存在の不確かさゆえに、なんていうか、自然の中などで目にする、圧倒的な生命に感じ入ってしまうのだろう。

と、こういうことを言うと、私が老婆か何かと思われるのだろうけれど、でも、自分としては、こういう視点を34歳の健康体(たぶん)の時点で少しでも手に入れられたことを、幸運に感じる。しかも、こういうことを話しても、ある程度共感しあえる友人達がいることも。

もちろん、ごく普通に都市生活を送っている私としては、こういうことを四六時中考えているわけでもないけれど^^
でも、この視点は時折思い起こして、忘れ去らずにおきたい。

そして折しも、今また一つ、人生における決断が必要な局面にあるので、そのタイミングで、「わたしにとって大切なことは何か。」と立ち返ることが出来て、よかった。声をかけてくれ・一緒に行ってくれた友人に感謝。