【FB2013年4月12日投稿を転載】脱北者体験談を伺って。

今晩は参加したイベントで、ひさびさに、なぎ倒されるほどの勢いをもったお話をお聞きしました。メインスピーカーは、北朝鮮に生まれ育ち、18歳の時に脱北、以来9年間日本で暮らす女性、Kさん。どこから彼女の話を要約していいのか分からないほどに、ほとばしる様に、ご自身の経験を語ってくださいました。以下、記録のためにも、お話しいただいた内容のほんの一部だけ。

○Kさんのおばあ様は日本人・おじい様は在日朝鮮人だったが、北朝鮮に帰国。
○お母様は北朝鮮で生まれ育つ。Kさんも日本人として差別を受ける。
○お母様が当局に逮捕されたことから、留置されているお母様に食事を差し入れる必要もあり、中国側のご親戚の支援を得るために、15歳のときに初脱北。1週間ほど過ごした中国では、人々の自由な髪形や身なり、豊かな食生活に驚く。
○以来、18歳までに計3回脱北し、3回連れ戻される。
○2回目の脱北は単身、冬。凍った河を走って逃げていたら「止まれー!」の声。止まったら捕まるから止まるわけがない。撃つなら撃てとの思いで中国側まで走りきる。(しかし結局つかまる。)
○中国側のトラックに乗せられ、北朝鮮で下されたとたん、足蹴にされ人間扱いされない。収容施設では6畳のスペースに、30人収容。粗末な食事が一日一回。トイレ(大便)も一日一回、外に連れ出され、並ばされて・見られているところでする。(←金品を飲み込んでいる人がいるため。)
○しかし、つかの間中国を垣間見たことで「世界を見よう」と思い、脱北を重ねる。
○4回目はつかまらず、中国滞在を経て、ついに日本へ。
○日本に来てから5年間くらいは、眠ると、捕えられる夢ばかり見ていた。生きている感覚がせず、いつも誰かに見張られているような。
○日本来日直後は、まず、在日韓国人の団体のサポートを受けたが、ご自身は日本人の扱いを受けると思っていたので、「なぜ韓国?」とショックを受けられた。
○日本では、Kさんが来日しても(日本の)ご親族の方は誰も迎えに来てくれなかった。資本主義の国は、それぞれが、それぞれの人生?で忙しいと今はわかるが、当時は、「命をかけてきたのだから、迎えにくらい来てくれてもいいのに」と思われたと。
○一方で、何の血のつながりもない支援者の方が、Kさんのために衣食住を提供し、日本語を教え・夜間中学を探し、助けてくれた。(今、Kさんは大学にまで進まれている。)

実際にはこの何十倍もの量と密度のお話をしてくださって、それを再現できないのがとても残念ですが。。。後半の質疑応答でKさんが話された内容をあと2点。

○どの国も、すべてがいい・すべてが悪いということはない。北朝鮮も日本も同じ。Kさんは、北朝鮮にいた頃は、古い映画を通してしか日本を知らず、日本人はちょんまげ姿や、丸めがねに軍服?を着ているのかと思っていた。でも、実際に日本に来たらそうではなかった。今、日本人がメディアを通してみている北朝鮮も同じ。一面から見ても、その国のすべてはわからない。
○Kさんの将来の夢は、平和のために役立つ仕事をすること。

上記2点も、とくに新奇・特異な視点が語られているわけではないですが、Kさんの口から語られると、過酷な経験から身を以て学ばれた重みを感じ、また、ほとばしる様に今までの人生を語られるKさんの姿からは、「この話はKさんにとって今も続いている。日本に来たから終わり、というわけではない。」ということを感じさせられました。

とにかく、今日は心と頭にたくさんのことが詰め込まれました。(Kさん以外のスピーカーの方も、興味深いお話をお聴き出来ました。ここにすべて書けないのが残念><)

このような貴重な機会を作ってくださった主催者の方々に感謝。
またぜひ別のイベントにも参加してみたいと思います。