日々雑感

元牛飼いの会社員です。時折、考えたことを書いています。

【FB2015年8月2日投稿を転載】セミナー「少子化は誰のせい?まだまにあう?」感想

一昨日は、Vital Healthcare主催のディスカッション勉強会「少子化は誰のせい?まだ間に合う?」にて、産婦人科医 宋美玄さんのお話を伺い、少子化問題について改めて考えるきっかけとなりました。以下、考えたことのまとめ。

少子化の原因は多面的。対策も様々な角度から行う必要あり。

■まず、日本では出産に至る経路がほぼ「婚姻→出産」の1ルートなので、いったんそれに則して考える。
■「婚姻関係にあるが、出産は好まない」という既婚カップルをあまり見かけないことから考え、どちらかというと、出産よりも婚姻が関門となっている印象。
■未婚・非婚の原因を大雑把に、以下2つに分ける。
(1)外部要因(収入不足、労働時間過多、etc.)
(2)内部要因(モチベーション不足(婚姻・出産へのネガティブイメージ、婚姻以外の方面への興味過多)、(婚姻に繋げるための)各種スキル不足、etc.)
多くの人の場合、(1)と(2)が複合的要因となって、婚姻に至っていないように思われる。
■外部要因に関しては、政策その他である程度改善が可能か。
■内部要因に関しては、現代社会総体としての在り方が個人の在り方に反映されたものと思われるため、婚姻に関する部分のみ切り取って、短期的・劇的な変化を呼び起こすことは困難か。

■ここでのゴールが少子化問題解決(=出産数増加)であり、婚姻数増加ではないことを考えると、「婚姻を経ない出産」もより積極的に認める必要があるのではないか。例えば、「出産(&男親による認知)」や、「(婚姻とは異なる)パートナーシップ→出産」等。
■「出産(&男親による認知)」の選択を積極的に認めるなら当然、非嫡出子への差別撤廃(←相続は既に同等。)+αが必要か。
■「(婚姻とは異なる)パートナーシップ」に関しては、婚姻に較べて人々にとっての心理的・制度的ハードルが低くなる、より自由度の高いものとする。
(→そもそも個人の在り方の自由が拡がった現在において、共に生きるパートナーとして法律上認められるのが「性的関係を前提とした異性1名との生涯に渡る(ことを想定した)契約関係」のみというのは、限定的過ぎるのではないか。「パートナーが同性」「性的関係にはないが、相互に信頼しているパートナーがある」「生涯に渡る契約(婚姻)は重すぎる」等、人々には様々な希望があるように思う。もちろんそれをどこまで認めるかは考えなくてはいけないと思うけれど。)

という感じ。
急進的過ぎるかな。でも、社会・人々自体がすでに変化しているわけだから、制度もそれに合わせざるを得ないんじゃないかと思う。
そうしないと結局、現行制度に乗っかれない・乗っかりたくない人たちは非婚、結果、子供生まない、になっちゃうわけだから。
また、現在はまだパートナーシップ制度の設置を望む声はそんなに大きく無いだろうけれど、そこは単に「存在しないものを上手く想像できない」ということであって、「不要」とは異なるのでは無いか。つまり、T型フォードが出る前の人々が「馬じゃ何か問題あるの?」と反応したように。

「(現行の)家制度を守ることと、日本の将来どっちが大切なんですか?」てことかな。
もちろん、「(現行の)家制度を壊してまで、少子化問題を解決する必要性はない」「そもそも少子化は大きな問題ではない」という考え方もあると思うから、それはそれで別の議論になるんだと思うけれど。

ともあれ、わたし、そんなにちゃんと少子化問題について考えたことなかったから、勉強になる良い時間を過ごせました。

宋先生、中澤先生、同じテーブルでディスカッションさせていただいた皆さま、どうもありがとうございました♪

https://www.facebook.com/events/857775867649363/

【FB2015年6月20日投稿を転載】映画『Happy』上映会感想

先週日曜は、お寺で映画+座禅。

映画は、数年前に見たことのあるドキュメンタリー映画「Happy」。
世界各地でHappyに暮らしている人々を16例取材するとともに、その合間合間に、脳科学者等のHappinessに関する視点・見解が挟まる。前回見た時も深い印象を受けたけれど、数年経って記憶が薄れていたので、今回もまた。

インドでリキシャを引いて暮らしを立てる一家のお父さん。家は、あばら家。「風通しが良くて快適なんだ。そして、仕事を終えて家に帰ってくると、いつも息子が迎えてくれる。」と笑顔いっぱい。
美人で活動的な母親だった米国人女性。交通事故により、元とはかなり異なる顔立ちとなり、ご主人にも去られ。しかしその後、人を癒すセラピストとなり、また、新たなパートナーとも出会い「今が一番幸せ」と。
他、14例。

映画を見ているうちに、「自分にとっての幸せとはなんだろう?」と考えないわけにはいかない。
座禅をしながらも、無にはなれず、幸せについて考える。
現在の結論は、これ。

「今この瞬間、心身ともに(概ね)健康にこの世に存在し、かつ、私のことを大切に思ってくれている人たち・私が大切だと思える人たちとのつながりがあること。」

これを言うと笑われることもあるけれど、年々、自然の景色に敏感になってきた気がする。
山に行けば緑が目に沁みるように感じるし、空とか、水の流れとか、子どもの声とか、そういうものが胸に迫ってくるときがある。子どものときはそういうことって、なかった。
それは恐らく、昔は“自分がこの世に存在していること”が自分にとってあまりに自明、所与のことだったからだろう。
でも、年月を経るに従って、自分は、様々な偶然や僥倖や、諸々の末にこの世に一時的に存在しているに過ぎない、すごく不確かな存在だと感じ・分かり始めた。
いちおう今のところは、五体満足・健康な34歳のはずだけど、もしかしたら明日、何かの拍子に命を落とすことだってあるかもしれないし、もしかしたら自分の知らないうちに病にかかっていることだってあるかもしれない。
その、自分自身の存在の不確かさゆえに、なんていうか、自然の中などで目にする、圧倒的な生命に感じ入ってしまうのだろう。

と、こういうことを言うと、私が老婆か何かと思われるのだろうけれど、でも、自分としては、こういう視点を34歳の健康体(たぶん)の時点で少しでも手に入れられたことを、幸運に感じる。しかも、こういうことを話しても、ある程度共感しあえる友人達がいることも。

もちろん、ごく普通に都市生活を送っている私としては、こういうことを四六時中考えているわけでもないけれど^^
でも、この視点は時折思い起こして、忘れ去らずにおきたい。

そして折しも、今また一つ、人生における決断が必要な局面にあるので、そのタイミングで、「わたしにとって大切なことは何か。」と立ち返ることが出来て、よかった。声をかけてくれ・一緒に行ってくれた友人に感謝。

【FB2015年4月4日投稿を転載】古賀義章氏講演会『向こう側から見たオウム』感想

先日参加させていただいた、Courrier Japon創刊編集長 古賀義章氏による書籍の出版記念講演の所感。テーマはオウム。
当日は開始時間10分前に講演の存在を知り、六義園の枝垂桜をいったん諦めて、会場へ。

ご講演内容は主に、古賀氏が取材を通して入手された膨大な数の写真資料や、元信者への長時間インタビュー等に基づくもの。
扱われているテーマの重さ・長期取材を行われたことから察せられる氏の想いの強さに反し、語り口は終始軽妙。そこから逆に、「一体何がこの人を長期にわたるオウム取材に駆り立てたのだろう」と不思議な思いも抱き。それについては、恐らくはご著書の中で明かされているのかもしれず。

私自身は、オウム真理教それ自体というよりも、オウム真理教(的な存在)に心を惹かれる・惹かれた・惹かれ得る・惹かれ得た、自分含め現代日本人の心象風景に興味を感じているため、今回提示された資料を興味深く拝見・拝聴。

他、個人的に講演会で印象に残った光景。

古賀氏が、(資料の一部として)麻原の説法テープを流す際などに、「別に麻原ファンじゃないんですけどね」等と冗談めかし、それに応えて私たち聴衆が「あはは。」と笑う、ということ数度。
これは、「我々は確かに、こっち側(=正常な・マトモな世界)に居る。あっち側(=オウムやカルトの世界)とは関係ないよね。」ということを、毎回、話者と聴衆で確認・安心する儀式みたいなものだなぁと。

こういうテーマについて不特定多数に語られる場合、(おそらく社会コンテクスト的に?)どうしてもこういう”儀式”を行う必要が生じてくる、ということはやはり、”こっち側”もしくは”こっち側に属する私たち”には、”あっち側”への恐怖があるのだなぁ、と改めて感じ。

帰りの電車の中ではその辺りも含め、友人と感想をシェアし、帰路に。
価値ある晩でした。感謝。

【FB2014年9月23日投稿を転載】映画『それでも夜は明ける』感想

声をかけてもらい、観るのが恐ろしくて行けていなかった映画を観てきました。
“12Years a Slave”(邦題:それでも夜は明ける
奴隷制時代の米国で、北部の自由黒人として妻子と平和に暮らすバイオリニストの主人公が、騙されて南部に売り飛ばされ、12年間を奴隷として過ごす、という実話に基づいた内容。原作は本人執筆の体験記。

観たらやはり、恐ろしかった。

こういう映画を観たときの常だけれど「歴史上の大抵の時代・場所は暴力に満ちている。自分の生まれ落ちた時代・場所がそうではないのは偶然の僥倖に過ぎない。」と感じる。そして、残酷な性質の強い者、心優しさの残る者、等々個体差は当然あるものの、多くの場合、人は生まれ落ちた時代・場所からの影響を免れ得ない。

逆に言えば、今、自分自身や周囲が暴力性とほぼ無縁であることも、ある意味では、生まれ落ちた時代と場所による偶然に過ぎない。ふとしたきっかけで歯車が狂っていけば、ここも・人々もあっという間に暴力的な場所に変わるだろう。

そんなふうな恐怖を感じる。

と言えば、なんだか悲観的なようだけれど、しかし本当は、そういう恐怖から目を逸らさず、人(=自分たち)は元来そのような暴力性を内包する存在である、ということを受け止めておくことは、必要・大切なことだとも思う。例え望ましくないものであろうとも、その存在を認めてこそ初めて、それをコントロールできる可能性が生まれると思うので。

しかしそれにしても、こわかった・つらかった。。。あと数日は精神的ダメージが残りそう。。
意義深い映画なのは十分に認めますが(;_;)

【FB2013年10月12日投稿を転載】映画『Hafu』感想

以前、イベントでお世話になったことのある矢野デイビッドさんがご出演されている映画、『Hafu』を見てきました♪

『Hafu』

日本人とのハーフとして、日本或いは外国で育った(or育ちつつある)5人の日々を追ったドキュメンタリー。日本×ガーナのデイビッドさん、日×豪のソフィアさん、日×メキシコのアレックス君、日×ベネズエラエド、日×韓の房江さん。同じ“ハーフ”とは言っても、境遇も外見も様々。主に日本で育った人・外国で育った人。見た目が日本人的な人、外国人的な人。しかし、どの人も、自分が日本ともう一つの国の両方を背負う・背負わざるを得ない存在であることを意識し・意識させられ、生きてこられたようでした。(とりわけ日本に育った場合、学校や社会の閉鎖性に苦しめられた度合いが強いように感じました。)それは、単純に日本人として生を受けた私にはうまく想像することができない重荷であり・葛藤であり・苦しみのようで。そして、5人の方々の現在の立ち位置も様々。苦しみや葛藤を乗り越え、mixed rootsであることをベースに・ご自身の使命を見つけられた人、mixedではありつつも・日本ではないほうの国に完全に軸足を置く人、もしくはまだ葛藤の真っただ中にある人、など。

上映後のトークショーには、西倉めぐみ監督(日×米)と出演者デイビッドさんが登場。会場にたくさんいらっしゃったハーフ、mixed rootsの方々、はたまた、別の角度からのマイノリティである同性愛の方とのコミュニケーションも、時に感動的でとても興味深いものでした。(とくに、デイビッドさんの受け答えは、苦しんだ時があったからこそ、と思われる、優しさ・思慮・慮りの詰まった語り口でした。)

わたしは、どの角度からの感想をここに書こうかと迷うのですが、一つに絞って書くとすると、「生まれのことであれ、性的指向のことであれ、逃れようのない大きな荷を背負うことは、深みのある・美しい人間が生み出されるチャンス。」という再実感でしょうか。(ただ、残念なことに、苦しみを乗り越えられずに、人が傷み・歪んでしまうこともありますが><)
また、人にとってはそれぞれ、自らの抱える荷が一番の関心事とならざるを得ませんが、ほかの人もまた、違う種類の荷を抱えているのだ・抱えているのかもしれない、という慮りを常に忘れないことが大切、との思いも新たにしました。

と、いろいろと書きましたが、単純に、「Hafu」興味深いです。
ひとまず18日までしか上映してないようですが、お時間があればぜひ足をお運びください♪

http://hafufilm.com/

【FB2013年9月30日投稿を転載】TV番組「ガタロさんが描く町 ~清掃員画家のヒロシマ~」感想

「汚いところをきれいにする道具じゃろ。それが美しくないはずはない。」

「(木を切ってしまえという人もおったんじゃけど、)全部があってのわれわれなんじゃけえ」
「こうして毎日大量のゴミを扱いよると、世界が見えてくる。人間がどんだけ終末的なゴミの出し方しよるか。」
「黙っとっても自分が思うとることは相手に必ず映るいうことやね。」

録りためていたTV番組の一つを見た。こころの深い部分に触れる内容でした。広島のとある商店街で30年間清掃員を続けるガタロさん。清掃用具は主にお古や自分で作ったものを用い、週6日・朝4時からたった一人で掃除にかかる。「手袋しては仕事にならない」とトイレ掃除も素手で。月給は15万円。そんなガタロさんは、自らの使う清掃用具を絵に描き続ける。密着取材の間、ガタロさんが口にする言葉は、雄弁でも・滑らかでもないけれど、営々と実のある時間を積み重ねてきた人だからこその、深さと重みを感じられた。
清掃用具が美しいのと同様、ガタロさんもとても美しい人だと思った。そして、彼と奥様の絆も美しい。彼の個展が開かれることがあれば、必ず訪れたい。

【FB2013年4月12日投稿を転載】脱北者体験談を伺って。

今晩は参加したイベントで、ひさびさに、なぎ倒されるほどの勢いをもったお話をお聞きしました。メインスピーカーは、北朝鮮に生まれ育ち、18歳の時に脱北、以来9年間日本で暮らす女性、Kさん。どこから彼女の話を要約していいのか分からないほどに、ほとばしる様に、ご自身の経験を語ってくださいました。以下、記録のためにも、お話しいただいた内容のほんの一部だけ。

○Kさんのおばあ様は日本人・おじい様は在日朝鮮人だったが、北朝鮮に帰国。
○お母様は北朝鮮で生まれ育つ。Kさんも日本人として差別を受ける。
○お母様が当局に逮捕されたことから、留置されているお母様に食事を差し入れる必要もあり、中国側のご親戚の支援を得るために、15歳のときに初脱北。1週間ほど過ごした中国では、人々の自由な髪形や身なり、豊かな食生活に驚く。
○以来、18歳までに計3回脱北し、3回連れ戻される。
○2回目の脱北は単身、冬。凍った河を走って逃げていたら「止まれー!」の声。止まったら捕まるから止まるわけがない。撃つなら撃てとの思いで中国側まで走りきる。(しかし結局つかまる。)
○中国側のトラックに乗せられ、北朝鮮で下されたとたん、足蹴にされ人間扱いされない。収容施設では6畳のスペースに、30人収容。粗末な食事が一日一回。トイレ(大便)も一日一回、外に連れ出され、並ばされて・見られているところでする。(←金品を飲み込んでいる人がいるため。)
○しかし、つかの間中国を垣間見たことで「世界を見よう」と思い、脱北を重ねる。
○4回目はつかまらず、中国滞在を経て、ついに日本へ。
○日本に来てから5年間くらいは、眠ると、捕えられる夢ばかり見ていた。生きている感覚がせず、いつも誰かに見張られているような。
○日本来日直後は、まず、在日韓国人の団体のサポートを受けたが、ご自身は日本人の扱いを受けると思っていたので、「なぜ韓国?」とショックを受けられた。
○日本では、Kさんが来日しても(日本の)ご親族の方は誰も迎えに来てくれなかった。資本主義の国は、それぞれが、それぞれの人生?で忙しいと今はわかるが、当時は、「命をかけてきたのだから、迎えにくらい来てくれてもいいのに」と思われたと。
○一方で、何の血のつながりもない支援者の方が、Kさんのために衣食住を提供し、日本語を教え・夜間中学を探し、助けてくれた。(今、Kさんは大学にまで進まれている。)

実際にはこの何十倍もの量と密度のお話をしてくださって、それを再現できないのがとても残念ですが。。。後半の質疑応答でKさんが話された内容をあと2点。

○どの国も、すべてがいい・すべてが悪いということはない。北朝鮮も日本も同じ。Kさんは、北朝鮮にいた頃は、古い映画を通してしか日本を知らず、日本人はちょんまげ姿や、丸めがねに軍服?を着ているのかと思っていた。でも、実際に日本に来たらそうではなかった。今、日本人がメディアを通してみている北朝鮮も同じ。一面から見ても、その国のすべてはわからない。
○Kさんの将来の夢は、平和のために役立つ仕事をすること。

上記2点も、とくに新奇・特異な視点が語られているわけではないですが、Kさんの口から語られると、過酷な経験から身を以て学ばれた重みを感じ、また、ほとばしる様に今までの人生を語られるKさんの姿からは、「この話はKさんにとって今も続いている。日本に来たから終わり、というわけではない。」ということを感じさせられました。

とにかく、今日は心と頭にたくさんのことが詰め込まれました。(Kさん以外のスピーカーの方も、興味深いお話をお聴き出来ました。ここにすべて書けないのが残念><)

このような貴重な機会を作ってくださった主催者の方々に感謝。
またぜひ別のイベントにも参加してみたいと思います。